映画「黒い雨」(1989)

注;ネタバレあり。

 

 

原爆投下後の広島の様子は残酷で恐ろしくて何度も息を呑んだし、思わず目をそらしてしまったところも。

やはり強烈だったのは、竹林で重松らと出会う男性の告白。瓦礫の下敷きになった息子を助けられず、火の手が迫ってとうとう息子をおいて逃げてきたという。親は命にかえても子を守る、という前提が社会にあって、きっとその男性もそう思っていた。それなのに我が子を見捨てて逃げる罪悪感、そして子をなくす悲しみ。見ていて涙が溢れた。

 

田中好子演じる矢須子が健康的で可愛らしい。ある友だちが「昔のアイドルや女優さんって痩せすぎてなくて素敵」と話していたのが分かった。今の若い女優さんで、あの矢須子の生命感、健やかさを表現できる人はいないのではないか。矢須子は原爆の恐ろしい記憶と、原爆症発病の恐怖を抱えて暮らしているわけだけど、ぴちぴちという言葉が似合う娘で、今のトレンドの儚さみたいなのは感じない。この映画を観る人の多くは矢須子がどうなるのか大体知っているから、その健やかさが常に切ない。

原作で矢須子は、縁談が進んで浮き立つ気持ちでパーマをかけに行っており映画でも矢須子の髪型はセミロングのパーマ。直接描かれていないとはいえ、うきうきと美容院に行ったのだろう。矢須子の髪が抜け落ちる場面は、数年間の平穏な生活、そして希望が消え去るように感じた。

 

原作と大きく違うのは、重松の村の二次被爆者がほぼ全員亡くなること。小説版では最後まで原爆症を発病しなかったシゲ子までが死んでしまう。原作の終盤、原爆投下後広島に入った集団がその後全員死亡した例が列挙される。この映画はそれらの集団の悲劇を重松の村で描いたのではないだろうか。みんな死んでしまったのに、世界のリーダーたちは核兵器を手放そうとしない。彼らは「正義の戦争より不正義の平和がまし」だと気づいていないのだ。

 

映画オリジナルのキャラクターであるユウイチは、矢須子と傷を癒しあうようになる。普段は優しくて静かなユウイチは、エンジンの音を聞くと戦場に引き戻され、車やバイクに突撃してしまう。

ラストシーンで容態が急変した矢須子。彼女を抱き抱えて救急車まで運ぶユウイチは、エンジンの音でパニックを起こしかける。しかし踏みとどまって矢須子を救急車に乗せ、何と彼自身も同乗して病院に向かうのだ。「病気に気持ちで負けてはいけない」と重松は矢須子を励ました。

「今あの山に虹がかかれば、奇跡が起きて矢須子は助かる」と重松は念じる。ユウイチはあの瞬間、一時的かもしれないが病気に気持ちで勝つという奇跡を起こした。虹はかからずとも、かすかな希望が残る結末だった。