子どもが自分に向けられる視線に気づく日

【注意】今回のブログには、直接的ではありませんが、性的嫌がらせの内容が含まれます。トラウマ等がある方はブラウザバックお願いいたします。




「女子中学生」「女子高校生」がエロコンテンツとして扱われることに初めて気づいたのは、12歳の頃だったと思う。

きわめて幸運なことに、私は痴漢に遭ったことがない。中学時代は駅が家から遠かったので、出勤ついでに父が車で学校まで送ってくれた。高校と大学は徒歩圏内だった。

だから制服姿を厭らしい目で見られたり、触られたりという目には直接的には遭わずに済んだ。

一方で幼い私が気づいたのは「中学生」「高校生」という記号のエロコンテンツ性だ。


中学時代、私は地方局が制作していた番組に時たま出演していた。

中学生の恋愛について語る回がオンエアされた後、ちょっとドキドキしながら自分の名前を検索してみたのである。番組関連で何か出てこないかな、程度の気持ちで。

ヒットしたのは、画面の両サイドの柱で、中学生の女の子の水着DVDの広告がびっしりと貼り付けられたロリコンサイトだった。

顔写真等は載せられていなかったが、私のフルネームと番組内でのコメントはまとめられていた。

私はその時初めて、私が出ていた低視聴率の、中学生向けの番組を見る「そういう大人」がいることを知ったのだ。顔が見えないこの大人に、画面越しとはいえ自分の姿を見られ、声を聞かれたということにぞっとした。


次に「そういう大人」の存在を感知したのはそれからすぐのことだった。

ガラケー全盛の時代、月に1度は「メアド変えました。登録お願いします。」のメールが来たものだ。

その日もいつものように「メアド変えましたメール」を受け取ったのだが、送り主の名前が書いていなかった。書き忘れたのだと思い「いや誰⁈」と返信すると、男友達の下の名前が平仮名で送られてきた。今となってはなんて馬鹿なんだろうと思うが、12歳の私はてっきりその友達だと思い込み、何度かメールのやりとりをしたのだ。

ある晩、そのアドレスから男性のアレの画像が送りつけられてきた。私は最初それが何なのかもさっぱり分からずしげしげと画面を眺め、ようやく何が送られたのか理解し、メールの相手が友人ではないと知った。

アドレスを着信拒否したうえで最初の「メアド変えましたメール」の送り先欄の一斉送信をクリックしてみると、20ほどのアドレスが並んでいた。

それらは全て

〇〇〇〇1998@ezweb

の文字列。〇〇〇〇は全て、たとえばyumi だのminaだの、女の子の名前だった。名前だけを変えて、その後の1998を固定して、数十のアドレスを作っていたことになる。(存在しないアドレスも当然多くあっただろうが、それはどこにも届かないだけなので関係ない)

アドレスに1998の数字列を使うのは1998年生まれの子ぐらいのものだろうし、その送り主は1998年生まれ(当時12歳)の女の子に狙いを定めてメールを送ったことになる。

私は写真がソレだと気付いた時よりも、並んだアドレスを見たときの方が背筋が冷えたのを覚えている。12歳の女の子に対する強い執着が現れており、自分が何に晒されて生きているのか、おぼろげに理解した瞬間だった。


お馬鹿だった私も、無事に高校に合格して制服を買ってもらった。私たちの制服は県内で少し有名だったので、ネットで何か書かれていないのかとまたもや検索した。(ここまで読んでくださった方はお分かりだろうが私はパソコンを使わせてもらいはじめてすぐにエゴサを始めた。今もちょくちょくしているが、もうほとんど何も出てこなくなった)

とある制服の中古販売サイトにヒットした。自宅で撮影したのであろう写真が並んでいる。女の子が、あの私が着ることになるセーラー服を着て写っていた。スカートは異様なまでに丈を短くされて太ももが見えていて、目は黒い線で隠されていた。売り物は制服で、女の子の顔は隠されているのに、彼女はまるで本人が売り物であるかのように、短いスカートを手で広げ、もう片方の手でピースサインをして、小首を傾げていた。これを買う人がいるのか。

制服が、「女子高生」が売られていた。


どうして思春期の女の子はエロコンテンツ扱いされるのだろう。その時期を通ってきたのではっきり言うが、人生の中ではそこまで綺麗な時期ではない。(母は「さなぎの時期」と呼んでいる)

どうしても太る時期であるし、子どもの顔から大人の顔にうつり変わる時期で、顔立ちも不安定かつアンバランスだ。ニキビだって出る。最近卒業アルバムを見返して、当時の自分のあまりの醜さに驚いた。(別に今は綺麗とかそういう話ではない)

だから女子中学生や女子高生を厭らしく目で追う人たちは、彼女たち自身ではなく、コンテンツの幻想を見ているのだと思う。それですむならまあよいのだが、実際は痴漢や盗撮という形で生身の彼女たちの身体を浸食する人間のなんと多いことか。

女の子の身体は空っぽの入れ物ではなく、彼女たちの精神とセットで、彼女たちだけのものだ。

他人が見て喜ぶために存在しているものではないということに、どうか社会の大人全員が気付いてくれますようにと、切に思う。