2020-12-14 川越宗一『天地に燦たり』を読みました 久しぶりの更新。 昨年の直木賞受賞作『熱源』を読んでからずっと気になっていた作品。 ネタバレありますのでご注意ください。 儒学においては礼を知る者こそが人であり、礼を知らなければヒトであっても禽獣。自分は、人は禽獣に過ぎないのかと悩み続ける薩摩の侍大将の七郎。 賤民に生まれながら儒学を学び、自分たちも礼を知る人だと証明しようとする明鍾。 「守礼之邦」琉球を侵略から守るために奔走する真市。この3人の運命が朝鮮出兵によって交錯する。全く異なる出身を持つ3人が儒学という1本の糸によってつながっていく。七郎は戦の中でしか生きていけない武士であるが(実際彼が最も生き生きと描写されるのは戦のさなかである)、戦と儒学は真っ向から対立するものだ。戦は結局のところ人殺しであり、儒学は「生きる者のための学問」だからだ。明鍾はすさまじい賤視をうけ、人間扱いされない「白丁」の生まれであるが朝鮮出兵の混乱の中出自を偽り官途を歩む。 彼は自分の生まれを忘れておらず、「白丁」であることの誇りは彼の心に生き続ける。役人になってから初めて彼が自らの出自を明かす場面は胸が熱くなった。真市はひたむきに、自分の故郷である守礼之邦を純粋に愛し、故郷を守るために命を懸ける。基本的には3人の半生を描いた時代小説だが、七郎の「何のために生きるのか」という自問が繰り返されており、生き方を模索する青春小説のような印象もある。明鍾と真市は武士ではない分、常に死ではなく生を求めるが、強者である島津家に属する七郎と比べて過酷な境遇に陥り続ける。そのときに彼らが生き続けるよりどころが「生きる者のための学問」なのだ。どこまでも生を肯定するこの小説は、毎年2万人以上が自殺する現代を生きる者へのエールのようにも思えた。 作者の川越宗一は異なる文化を持つ人間たちの出会いと、いわゆる「日本人」「○○人」と安易にくくることができない人々のアイデンティティーをテーマとしている。(2作目で直木賞受賞作の『熱源』もそうだった)司馬遼太郎の歴史小説は国民国家史観が強い感じを受けるが(それでも彼が子どもの頃から大好きな作家なのは変わらない)、 川越宗一は1つの国に1つの言語、1つの民族というとらえ方から脱出した、21世紀的な感覚で歴史・時代小説を書いている。 文学が時代によって変化・進化していくことを実感する。 儒学がテーマである以上仕方ないとはいえ、この作品では女性のキャラクターがほぼ登場しなかったのが残念だが、それは自作の『熱源』で変化が見られるので、今後様々な女性キャラクターが登場するようになるだろう。存命の作家にはまると次回作を楽しみに待てるのが嬉しい。 返信転送