村田沙耶香「しろいろの街の、その骨の体温の」

コンビニ人間」で芥川賞を受賞した村田沙耶香の小説。

長さとしては一応長編になるのかな。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

コンビニ人間」以来村田沙耶香は好きで、「消滅世界」や「殺人出産」などを読んできた。「恋愛って何なのか」「家族って何なのか」「そもそも家族や夫婦は必要なのか」「夫婦に性交渉は必要なのか」「パートナーは1対1でなければだめなのか」など、社会で当たり前として通っていることにことごとく「なんで?」「ほんと?」と極限的な作品世界で突き付けてくるの作家だ。

この「しろいろの街の、その骨の体温の」は異性愛、異性間の性交渉に帰結する物語であるので、上記の3冊と比べると割と穏当な印象はある。とはいえ主人公の結佳は同級生の伊吹に無理やりキスをし、彼を「おもちゃ」にするし、脅迫して意のままにすることさえある。

多くの異性愛小説や漫画が男=主導権を握る側、女=支配・保護される側という構図から脱却できていない中で、結佳はこの構図から完全に逸脱しているし、伊吹に対する言動は正直気持ち悪い。ただその気持ち悪さを結佳は自覚していて、「恋とは発狂することだ」と言う。

 

村田沙耶香の小説に出てくる子は大体ぶっ飛んでいる(まあ結佳がぶっ飛んでいないかというと、相当ぶっ飛んでいるわけだけど)ので、普通の学校生活をどうにか頑張る、という女の子の話は初めて読んだ気がする。学校における女の子の描き方がまたすごく生々しい。

この小説の女の子たちには漫画のヒロインのようなかわいらしさは全くないし(というか思春期の子供ってこんなものだと思う)ドロドロの感じも、いわゆる「女ってこえー(笑)」というコンテンツ化されたドロドロと違って、自尊心を守るための必死の戦いだ。ついでにこの年代の男の子のイタさも結佳によってかなり観察されていて、男性読者も赤面しながら読むことを余儀なくされそうだ。

 

この小説の舞台は開発が続く街だが、小4~中2の結佳の世界の多くが学校である。聡く感じやすい結佳はこのカーストを敏感に察知し、分相応をわきまえて学校生活を送ることに必死になる。その意味で、教室内のピラミッドが、もう1つの舞台といえるかもしれない。

私はこのカーストがよくわからないまま大人になった人間、学内の人間関係の切実さがいまいちピンとこなかった。その意味で私は作中結佳の言うところの「幸せさん」だが、別に「身分が高い」人だったわけではない。多分精神年齢が低すぎて、ピラミッドが見えていなかっただけだ。

小4の時点で、結佳のクラスメイトである若葉ちゃんは人形遊びに飽きて、指輪やヘアアクセサリーで自分を飾ることに興味が移っていた。それを察知して若葉ちゃんに合わせることができる結佳も、相当大人びている。中学生になっても人形遊びを卒業できず、母親に気味悪がられた私とはすべてが違う。コイバナより人形遊びがしたいと言って、若葉ちゃんにうっとうしがられる信子ちゃんに、私はむしろ近かったはずだ。思春期の頃の自分の幼さに改めて気づかされた。クラスのみんな、ごめん。

中学に入ると、女子のグループ分けに男子の目が加わる。「身分が高い」男子は地味な女の子のことを平気で「ブス」と蔑み、汚物のように扱い、彼女たちの自尊心をズタズタにしていく。読んでいてすごくヒリヒリした。

私はずっと、男子の無遠慮な目とは無縁に生きてきたけれど、たぶん私の中学にもそうしたものはあっただろうし、私には相当厳しい評価がつけられていただろう。

かわいくない女の子への評価の厳しさはぞっとするもので、これがかつての私にも向けられていたものなのだ、あるいは今も向けられているのかもしれないのだと思うと、もう外に出るのも怖くなる。

結佳の思いが向けられる相手である伊吹はそんな恐ろしい学校世界とは対照的にどこまでも綺麗でまっすぐで(その綺麗さは無神経さと背中合わせである)、正直リアル感がないくらいだ。実は伊吹は結佳の心の中だけに存在して、結佳の苛烈な通過儀礼を司る存在、ととらえても違和感がないほどに。

小学校時代はクラスの女子たちの憧れで堂々としていたけれど、中学では上位グループからの転落を恐れてまわりに媚を売っている若葉ちゃんの方が、脇役だけれどよほど生々しく人間らしい。

結佳と伊吹の関係の行きつく先をより美しくする効果はあったが、23の汚れた大人の私は、性なんてそんなに綺麗でも、神聖でもないと思う。

 

読んでいてどうしてこんなに心が苦しくなるのだろうと思ったが、醜さの描写に容赦がないことが理由の1つだろう。小学校では若葉ちゃんと仲良しだったけれど、中学では「キモイ」と認定された信子ちゃんに関して「服の襟に歯磨き粉が飛んでいる」「にきびだらけで脂ぎった顔」、結佳自身に関しては「貧相な上半身に不釣り合いな太い下半身」「目は小さいく、頬がこけた骸骨のような顔」など。美男美女ではない主人公は星の数ほどいるが、ここまでひどく書かれているのは初めて見た気がする。多分「俺(私)は冴えないオタク」みたいな主人公の方が作者によほど優しくされている。

 

最終的に結佳はスクールカーストの外に蹴りだされる。初めて自分の言葉を得て、身の回りにあるものを自分で形容していく。その中で、周りから植え付けられたものでしかなかった美醜の基準を手放し、自分は何を美しいと思うのか、自分だけの基準を確立していく。ここの展開とこの部分の文章は本当にすがすがしい。

 

ちょっと話がずれるが、この小説を読んで「可愛い」という言葉が世界から無くなればどれだけ楽だろうと思った。「美しい」は個人的で絶対的なものになりうるが、「可愛い」は社会的なものだからだ。

ムンク「叫び」も宗像志功の版画も、芥川龍之介の「地獄変」も、私は美しいと思う。恐ろしいものや凄惨なものも美になりうる。

しかし可愛いには、か弱さ、未成熟さ、周りの人間にとっての都合のよさが含まれ、どうしても他者が絡んでくる。「かわいく」あるためには、人目を気にし続けなければならず、それによって自分は何が好きなのか、何を身に着けたいのかがわからなくなってくる。こんなうっとうしい基準「可愛い」を振り捨てたいと思いながらも、私は毎日腕毛を剃り、ブラウンのアイシャドウとピンクのリップを塗り、ニコニコと明るいドジ話をする。私はまだ、他人の目を捨てられない。