NHK「眩 北斎の娘」視聴

2017年の本放送の時は、テスト前日だったので流石に見られなかったこのドラマ。再放送してくれて嬉しかった!

 

絵を描くお栄。火事を知らせる鐘が鳴る。目を輝かせて外へ飛び出し、梯子に登って見物する。どうすればあの火の色を表現できるか考えながら

冒頭の場面は多分に朝ドラ的だ。ヒロインは生き生きして、高いところに登る。爽やかなシーンのはずなのに、焼け出される人が必ずいる火事を喜ぶ違和感。

のちに善二郎の家が火事になったときのシーンは冒頭と対比になっている。同じように真っ先に駆け出して行くが、全く違った表情で火事を見つめるお栄。

2つの場面を見たとき、私は絵師としての業を描いた、芥川龍之介の「地獄変」を思い出した。自分の家が焼けても火事を見物し、やがては娘が焼かれることになる良秀。

火事になったら喜んで火を観察し、夫の絵を笑ったことで離縁され、「親よりも絵が大事」なお栄。絵師としての業が、好きな人の家が焼けるという形でお栄に帰ってくる。

 

色の濃淡、光と影が特徴的なお栄の作風に従い、このドラマは色と光、影にこだわって撮っている。お栄の着物はだらしなく着崩してあるけど色彩豊かだし、何より吉原のシーンの極彩色が見事だ。

お栄と善二郎が最後に会うときは、善二郎の顔が半分影になっており、彼の二面性を表現している。苦労した過去があって、割とダメンズで、絵を断念した人。でもお栄に、光を与えてくれた人。

 

彼が来たときは逆光で暗く見えた部屋が、出て行くときには逆から撮って明るくなっていた。同じものでも光の当て方で見え方が変わるのだ。

 

「この世は色の濃い淡いでできている」「影がものをかたちどり、光がそれを浮き上がらせる」

昨年の、北斎と応為のねぶたを思い出した。ねぶたは闇の中、光で色あざやかなものを魅せる。応為の作品はねぶたに似ていると思った。